2006.04.21

ナスカの地上絵、新たに100個発見!-まだ未発見のものがあるかも

YomiuriONLINEより「ナスカに未知の地上絵、山形大助教授ら100個発見

世界遺産に登録されている巨大な地上絵で知られるペルー・ナスカ台地で、人か動物をかたどったとみられる絵(縦約60メートル)や直線、渦巻き模様など約100個を発見したと、山形大人文学部の坂井正人助教授(文化人類学)らの研究グループが19日、明らかにした。
0604212
ナスカの地上絵は 東西20km、南北15kmの台地にかかれており、これまでに動植物や幾何学模様など700程度の図柄が確認されています。

今回新たに地上絵が発見されたのは、絵が多数見つかっている地域から10kmほど南で、調査が進んでいなかった地域です。

角が付いた生き物のようにも見える縦約65mの絵や、渦巻き、三角形、台形など様々な文様が発見されました。

坂井助教授らは04年、地上絵が描かれた目的の解明や保全のため、絵の分布図を作成する作業に着手。そのため、米国の商業人工衛星が撮影したナスカ台地の画像を購入して分析しました。

すると、これまであまり研究されていなかった台地の南西部に絵や図形があるのを発見。04年12月と今年3月に現地を訪れて上空の飛行機から実際に確認しました。

坂井助教授は「地上絵はまだ調査が進んでおらず、未発見の絵はまだあるのでは」と話している。
こんな大きなものがまだあるというのも驚きです。

<参考>「ペルーでナスカより古い地上絵を発見!

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2006.04.11

古代エジプトの小麦でできたビール

毎日新聞より「ビール:古代エジプト小麦を使い共同開発 京大・早大

京都大と早稲田大は10日、古代エジプトの小麦を使ったオリジナルビール「ホワイトナイル」を共同で開発したと発表した。研究や教育、産官学連携などで相互協力するため両大学が同日締結した「連携協力に関する基本協定」の第1弾。
0604111両大学の連携協力に関する基本協定では、環境や防災の研究、ゼミやスポーツイベントの共催で交流を深めることになっていますが、このビールの開発がその第1弾となりました。。

エジプト考古学の吉村作治早大客員教授が壁画を元に古代エジプトのビールを04年に復元した際、エジプトで醸造に使われていた「エンマー小麦」を京大栽培植物起源学研究室が提供したのがきっかけとなりました。

栽培植物起源学研究室は小麦約1万種を生きたまま保存する世界最大級の遺伝子バンクを持っています。現在ではほとんど残っていない「エンマー小麦」も、67-68年に兄弟学術探検隊が採取したものを保存していました。

製法などについては吉村作治教授が協力し、約1年かけて開発に成功したとのことです。

「ホワイトナイル」と名付けられたこのビールは、原料の20%にエンマー小麦を使用。コクがあり、食事の途中に飲むタイプの「ホワイトナイル」を造り上げました。

飲んでも胃の膨満感が穏やかなのが特徴だとのことです。

同社側がエンマー小麦を大量に収穫出来るのは来夏以降のため、今年のみ近縁種のデュラム小麦を使う。12日から両大学の生協やレストランで販売する。
ビール党としては買いに走らなきゃ(笑)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.01.11

発見されたのは殺人事件の被害者でなく、整髪料を使っていた鉄器時代の遺体でした

Exciteニュースより「鉄器時代の男性、整髪料を使用していたことが判明

アイルランドの泥炭湿地で、”保存状態が非常に良い”2人の先史時代の男性遺体が発見されたが、調査により判明した事実が関係者らを驚かせている。1人の遺体は現代の整髪用ジェルの様なものを使用した痕跡があり、また他方は身長約2メートルで、今までに発見された鉄器時代の遺体の中で最も大きいものだという。
この遺体のうち1体はアイルランドのミーズ郡の泥炭地で発見されました。その3ヶ月後に25マイル離れた地点でもう一体が発見されました。

この2つの遺体は肉や爪が付着しており、眼球も残っていたため当初、IRAによる犠牲者ではないかと考えられていたようです。

しかし、18ヶ月の調査のあと分かったのは、なんとこの2体の遺体は死後2,500年が経過していたという事実でした。

彼らが死んだのが泥炭地帯だったことにより遺体はほぼ完全な状態で残っていたとのことです。

ユニークだったのは、背が低い方の人物は自分を大きく見せようと「ジェル」を使って頭髪をモヒカンのように立てていたと考えられることです。そのジェルもフランスからもたらされた樹脂だったとのこと。

外見を意識してジェルを使っていた方は、「Clonycavan Man」と名付けられ、約2,300年前のアイルランド社会でフランスからもたらされた樹脂を入手できたことから、裕福な人物だったと考えられています。また、背の高い方は「Oldcroghan Man」と名付けられました。

ケリー氏によると、この2人の男性は殺害されたという。「『Oldcroghan Man』は、胸を刺されています。抵抗した際にできる防御創があるため、彼は襲ってくる人物を見ていたはずです。殺害された後、斬首されています」
またケリー氏は「Clonycavan Man」について、斧で頭を割られて殺され、内臓を取り出されている、と説明している。
男が外見を気にするのは鉄器時代も変わらないようです(笑)

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.12.16

モナ・リザの微笑みの秘密を解明

gooニュースより「モナ・リザの微笑の秘密を解明=83%が幸せ示す」(時事通信)

レオナルド・ダビンチの傑作「モナ・リザ」の微笑をアムステルダム大学がコンピューターで解析した結果、モナ・リザは83%幸福、9%がうんざりした気分、6%が恐れ、2%が怒りを表していることが分かった。
0512162
歴史上最も有名な肖像画である「モナ・リザ」は見れば見るほど不思議な印象を与える絵画です。1503年にレオナルド・ダ・ヴィンチが描き始めたこの絵は、完成までに4年程度かかったといわれています。

モナ・リザのモデルが誰であったのかはわかっていません。フィレンツェの富豪、フランチェスコ・デル・ジョコンドの3番目の妻であるエリザベッタではないかという説が最も有力です。

モナ・リザの絵に不思議な魅力があるのは口元の微笑みによるところが多いのではないでしょうか。フロイトはレオナルドが母親に抱いていた性的な魅力であると表現しています。

今回、アムステルダム大の研究者はイリノイ大と共同で開発した感情を認識し計算するソフトウエアを使いモナ・リザの微笑を解析しました。このソフトウェアには多くの若い女性の表情がデータベースとして登録されており、唇の曲線と目の周りのシワの線などカギとなる特徴を調べることによって人間のムードを測定し、基本的感情を数値化しています。

英国の科学週刊誌ニュー・サイエンティストの次週号に結果が公表される。
うんざりしているのは絵のモデルになるのが退屈だからでしょうか(笑)

<参考>「ダ・ヴィンチの未完の名画が壁の後に隠されている?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.11.19

ベートーベンの頭蓋骨を確認

Yahoo!NEWSより「ベートーベンの頭蓋骨確認 米サンノゼ大」(共同通信)

ロイター通信によると、ドイツの楽聖ベートーベン(1770−1827年)の頭蓋(ずがい)骨とされた骨片がDNA鑑定の結果、本人のものと確認された。米カリフォルニア州のサンノゼ大ベートーベン研究センターが17日発表した。
0511193
楽聖ベートーベンが亡くなったのは1827年3月26日。彼は20代後半から始まった難聴が次第に悪化し、晩年の約10年ほどはほぼ聞こえない状態にまで陥っています。また、晩年は慢性的な腹痛や下痢などに苦しんだといわれています。

彼の難聴の原因としては耳硬化症や、神経性難聴あるいは梅毒など様々な説が唱えられてきました。しかし最近になって、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されたことから、これが難聴の原因でないかともいわれるようになってきました。

今回鑑定された骨は、2個の大きな断片と7つの小さな破片からなっています。これは1863年にベートーベンの検死が行われた際に採取されたもののようです。この骨の所有者は長い間分かっていませんでしたが、最近になって所有者のビジネスマンがサンノゼ大のベートーベン研究センターに提供し鑑定されました。

鑑定の結果、ベートーベンの鉛中毒は死の直前だけでなく長い期間にわたっていたことも分かりました。

この鉛中毒が難聴の原因であるかどうかはまだはっきりとはしていません。

研究者は「ベートーベンが長期間、鉛中毒に苦しんでいたことが分かった。病気が彼独特の気難しい顔つきにも影響していた可能性がある」と話した。
さらに詳しく調べることで、ベートーベンが難聴の遺伝子を持っていたかなどいろいろと新たな事実が判明するのではないでしょうか。

<参考>「モーツァルトの頭蓋骨をDNA鑑定−夢はこわさなくても

| | Comments (1) | TrackBack (2)

2005.10.28

ツタンカーメンが飲んでいたのは赤ワイン

CNNより「ツタンカーメン王が飲んだワインは「赤」と、研究者

黄金のマスクで知られる古代エジプトのツタンカーメン王が飲んでいたワインの色は「赤」だったと、副葬品を調査していた研究者が26日、大英博物館で発表した。この時代の人物が飲んでいたワインの色が判明したのは、初めてとしている。
ツタンカーメンツタンカーメンは古代エジプトの新王朝時代、第18王朝の王で兄アメンホテップ4世の後をついで1358年に9歳で即位しました。18歳で亡くなったあと、彼は日常で使う品や食料とともに埋葬されました。

発掘された墓からは、ワインが入っていたと見られる壷も見つかっています。その壷には「Wine of the House-of-Tutankhamun Ruler-of-the-Southern-on, l.p.h (in) the Western River」とワインの名前、収穫年、ブドウの栽培者などが書き込まれていましたが、それが何色のワインであったかは、中身がすべて蒸発していたため分かっていませんでした。

スペイン・バルセロナ大学のマリア・ロサ・グアッシュ=ハーネ氏らの研究グループが、大英博物館とカイロのエジプト博物館が保管するつぼ2つに付着していた残留物を調査。
その結果、白ワインには含まれないシリンガ酸を検出したほか、当時のワイン作りの様子を描いた絵画ではワインが赤や紫に着色されていたことから、内容物は赤ワインと結論づけました。

グアッシュ=ハーネさんのグループは、ガスクロマトグラフィー質量分析法を利用した、つぼの残留物の研究結果を、昨年10月付の米科学誌「分析化学」に発表している。
他にも分析できそうなものはありそうです。

<参考>「ツタンカーメンの頭部を復元−なかなかの美男子です」・「CTスキャンによりツタンカーメンの撲殺説を否定」・「ツタンカーメンの死因を追求−呪われませんように(笑)

| | Comments (0) | TrackBack (1)

写楽はやはり他の浮世絵師ではなかった

Asahi.comより「一目瞭然、目の描き方に違いはっきり 写楽と他の絵師

江戸時代中期の謎の浮世絵師「東洲斎写楽」と、3人の高名な浮世絵師が描いた絵の目の縦横比や黒目の割合などを数値化して比べたところ、かなり大きな違いがあることが、甲南大の辻田忠弘教授(感性情報処理)の研究室のコンピューター分析でわかった。
写楽東洲斎写楽は、1794年(寛政6年)に登場し、95年にかけての10ヶ月間に役者絵を中心としておよそ140点の作品を発表し、その後忽然と消息を絶ちました。大正時代にドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、日本でも再評価されるようになりましたが、この「写楽は誰か」というのが浮世絵研究上最大の謎でした。

特に版元の蔦屋重三郎が無名の新人の絵を出版したのはなぜか、短期間に活動をやめてしまったのはなぜか、などといった点が謎解きの興味を生み、「写楽別人説」もいろいろな方面から唱えられてきました。

写楽別人説の主要なものは浮世絵師の葛飾北斎、喜多川歌麿、作家十返舎一九などですが、現在は「阿波藩蜂須賀侯のお抱えの能楽師・斉藤十郎兵衛だったのでは」という説が有力視されています。

辻田教授らは、写楽の絵の最大の特徴は目の描き方にあるとして、写楽、北斎、豊国、歌麿の4人が描いたそれぞれ7−10人の男性の目の縦の長さの横の長さに対する割合、黒目の幅の割合などのデータを数値化して比較。

その結果、目の縦横比と黒目の割合の平均値を比べると、写楽はそれぞれ0.61、0.37と丸っぽく黒目が大きかったのに対し、北斎は0.31、0.39と細長くて黒目が大きく、豊国は0.50、0.20と丸っぽくて黒目が小さく、歌麿は0.17、0.28と細長くて黒目が小さいという特徴が明らかになりました。

辻田さんは「4人が描く目には数値的に大きな違いがあり、3人が写楽と同一の絵師とは考えにくい」と言う。
東洲斎写楽が斉藤十郎兵衛だったというのはほぼ確実だと思われますが、なぜこのような短期間だけ活動したかなど謎はまだまだつきません。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.10.14

世界最古の麺?−やはり中国4000年の歴史か

YomiuriONLINEより「世界最古の麺、中国・青海省の遺跡で発見

中国・青海省の新石器時代の遺跡から「世界最古の麺(めん)」が見つかり、中国科学院が13日付の英科学誌ネイチャーで発表した。
出土した麺麺の発祥については詳しくわかっていません。中国では、漢の時代(紀元前202−後220)のいくつかの文献に「餅(びん)」という記述があります。しかし、それ以前にもイタリアが発祥であるという説や、アラビア由来であるという説などがあります。

今回、中国科学院のチームは、中国青海省の喇家遺跡で出土した土器の底から長さ50cm、直径約3mmの麺と思われるものを発見しました。これを放射性同位炭素による年代測定にかけたところ、約4000年前のものと判断されました。

現在、麺は小麦から作られることが大部分ですが、この麺はアワとキビでできており、碗に湯を入れて煮て食べていたと考えられます。

この遺跡は約4000年前に黄河の洪水などで埋まったとされ、“中国のポンペイ”とも呼ばれる住居跡。
この遺跡は地震のあとの突然の洪水によって滅びたと見られています。今回の麺のはいった土器も、人骨のすぐ横から見つかりました。

| | Comments (0) | TrackBack (3)

2005.10.07

またまた出てきたシェークスピア別人説

YomiuriONLINEより「シェークスピアの名作、実は英外交官の作品?

16世紀の文豪シェークスピアの数々の名作は、実は英国の外交官の作品だった――。5日付の英紙ザ・タイムズなどは、世界の文学史を塗り替えるような研究論文が10月25日に出版されると報じた。
シェークスピア1564年に英ストラットフォード・アポン・エイヴォンに生まれたシェークスピアは1585年ごろロンドンで芝居の世界に入り,はじめ俳優として活躍しましたが、その後,グローブ座の座付作者として戯曲を書き始めました。以後,1611年に引退するまで全部で37編の戯曲と数編の詩を書いています。文学史上最高の天才の一人といっていいでしょう。

ただ、その私生活などに関しては詳しいことが分かっておらず、手紙や日記、自筆原稿なども残っていないことから別人がペンネームで書いていたのではとの説もあるにはあります。

フランシス・ベーコンやクリストファー・マーロー、エドワード・ド・ヴィアーなどいろいろな説があるようですが、また新しい説の登場です。

元ポーツマス大英語講師のブレンダ・ジェームズ氏らによると、一連の作品の作者は、外交官で国会議員だったヘンリー・ネビル(1562−1615)ではないかとのこと。

シェークスピアはネビルの遠い親類で、名前が使われたのは、一部内容が政治的過ぎるため、職務上の配慮があったためだとし、数々の論拠が上げられているそうです。

ネビルは、フランス大使を務めた裕福で教養に満ちた外交官で、シェークスピア作品に登場する英国の宮廷生活や、エリザベス時代の政治、イタリア、フランスの事情などにも深く通じていた。一方、シェークスピアは以前から、一度も欧州大陸に渡ったことがないなど、不自然な点が指摘されていた。
源義経=チンギス・ハーン説よりは面白いかと(笑)

<参考>「シェークスピアの肖像画、実は死後200年の作品−本物か嘘かそれが問題だ

| | Comments (1) | TrackBack (3)

2005.09.16

ロビンソン・クルーソーの家?が発見

YomiuriONLINEより「「ロビンソン・クルーソー」の家?日本人探検家が発見

日本人探検家・高橋大輔さん(38)が率いる国際学術調査チームは15日、小説「ロビンソン・クルーソー」のモデルとなったイギリス人船員の住居跡と見られる遺跡をチリ沖の孤島で発見したと発表した。
ロビンソン・クルーソー島ダニエル・デフォーが1719年に発表した『ロビンソン・クルーソー漂流記』はスコットランド人の船乗りであるアレクサンダー・セルカークをモデルとして書かれた小説です。アレクサンダー・セルカークは英国王の許可を得て海賊行為をしていた船の航海長でしたが、今から300年前の1704年にロビンソン・クルーソー島(当時はフアン・フェルナンデス島)に置き去りにされました。その後4年4ヶ月を自給自足で暮らし、1709年に海賊船団に助けられました。

高橋さんらは1992年からその謎を追い続け、2001年にセルカークの住居跡らしき遺跡を発見。今回、スコットランドやチリの考古学者ら5人からなる調査チームを組織し発掘調査を行ったとのこと。

当初、住居跡としていた遺跡はセルカークよりも後の時代のものと判明しましたが、その建物下からたき火跡や柱の穴を発見。たき火跡にあった炭の年代は放射性炭素の測定でセルカークの滞在時期に近い物と判明しました。さらにたき火跡付近から航海道具である「ディバイダー」の一部とみられる銅片が出土。当時、航海道具を持参して同島に滞在したのはセルカークだけであることから、この住居跡をセルカークのものと結論づけました。

調査は米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」の支援で行われ、調査リポートが今月末に世界各地で発売される雑誌「ナショナルジオグラフィック」に掲載される。
こちらに探検家の高橋さんのブログがあります。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧